|
 |
| |
| |
|
大石内蔵助 良雄 |
 |
-
大石家の先祖は近江国栗太郡大石庄、曽祖父が常陸国笠間城主浅野長重の家老として仕える。
-
浅野家の赤穂転封の後、備前国池田藩家老娘池田くまを母に良雄生まれる。(父、大石権内良昭。1659年)
- 幼少時は山鹿素行、長じては京都堀川伊藤仁斎に学ぶ。
- 21才で国家老上席、晩婚ながら28才で石束りくを娶る。
- 讃岐高松の剣豪奥村無我に習い、35才で免許皆伝受ける。
- 雅号は「可笑」(かしょう)
|
|
「あら楽し 思ひは晴るゝ 身は捨つる 浮世の月に かゝる雲なし」 |
|
(討入り成功後、泉岳寺にて。享年45才) |
|
| |
|
| |
|
大石主税 良金
|
 |
- 義士四十七士の中の最年少(享年16才)
- 大石内蔵助良雄、石束りくの長男として1688年に生まれる。
- 幼名は松之丞、14才で元服し主税良金と名乗る。
- 身長は五尺七寸(170cmあまり)で、当時としては大柄であった。
- 討入りの際、吉田忠佐衛門の下、裏門隊の大将を務める。
|
|
「あふ時は 語りつくすと 思へども 別れとなれば 残る言の葉」
「極楽の 道は一筋 君と共に 阿弥陀を添えて 四十八人」 |
|
| |
|
| |
|
石束 りく
|
 |
- 豊岡藩京極家家老石束源五兵衛の娘。(1669年生まれ)
- 18才の時、大石内蔵助良雄に嫁ぐ。
- 三男二女に恵まれる。(長男が松之丞、後の主税良金)
- 刃傷事件の後、京都山科滞在を経て豊岡に戻る。
- 討入り後は再婚せず、髪を剃り遺児を育てる。
- 三男大三郎が広島浅野家に仕官し、共に過ごす。
- 1736年68才の生涯を広島で閉じる。
|
|
|
|
| |
| |
| |
|
▲戻る |